年月は平等に過ぎる。そこに生物も無機物も関係ない。違うことは、生物は代謝をすること。傷ついても修復する機能を備えており、少しの破損なら元通りになる。劣化はするが、それは仕方ない。この世に生まれたのなら、始まったのなら、終わりに向かっていくのは自然なことなのだから。それに逆らうことはどんなものでもできない。一見変わらない形を保っている岩石も、雨風に削られて少しは変わっている。
思い出が詰まった家もそうだ。新しく建てられてから年を取り始める。
最初に住んだのは家族だった。小さい子供とその両親。一生懸命貯金をして買ったのだろう。念願のマイホーム。家が広くなったからもう一人子供ができてもいいかもしれない。
ほどなくして、新しい住人が生まれた。助産婦を呼んで、家で出産をした。父親は慌てて使い物にならないと、部屋の外に追い出されて子供の相手をしていた。母親は二度目ということもあってか、安定した出産だった。
二人になった子供はすくすくと育った。家の壁に落書きをしたり、柱に背の高さの線を引いたりして家とともに歳を重ねた。時にはやんちゃが過ぎて家を壊すこともあったが、家は賑やかなのが嬉しかったから気にしなかった。
家は毎年来る嵐から家族を守った。夏の台風は必ず一度は真上を暴風雨を伴い通過して、色んな物を吹き飛ばしていった。家は何度も何度も耐えた。この程度では瓦一つ剥がれなかった。しかし、数十もの嵐にはさすがに劣化するところがあった。雨どいが外れたり、不覚にも雨漏りをしてしまうことがあった。その度に、家族の父親が直してくれたおかげでそれ以上酷くなることはなかった。
毎年来るものは台風だけではない。冬に降る雪というものは、動けない家の身には応えた。少し降るだけならなにも問題は無い。さらにその倍も大丈夫だ。明日には解け始めてそのうち消えてなくなる。だが、連日の大雪となるとちょっと耐えられなかった。雪の重みは家の柱に負荷をかけ、屋根を突き破ろうとしてきた。潰れなかったのは、父親が雪下ろしをしてくれたからだ。途中から大きく成長した子供も手伝うようになった。
月日が経ち、遠方の学校に通うために家を出た。家の中は少し寂しくなったが、家族も家も笑って送り出した。夏とお正月には帰ってきたから安心した。
もう一人の子供も大きくなり、学校に通うようになった。下の子供は家から通えるから寂しくない。
さらに時が過ぎると、子供は二人とも就職をした。最初は家に住んでいたが、勤務先の都合によって二人とも出ていった。
家に住んでいるのは夫婦二人だけになってしまった。子供が立派に成長したのは嬉しいが寂しくもある。その気持ちは親も家も同じだった。
家が建って数十年。もう住民はいない。夫婦は体調の悪化による入院や、介護が必要になったことで施設に入った。子供たちはそれぞれ家庭を持ち、それぞれ違う家に住んでいた。家にはもうだれも住むことがなくなった。
借家として貸し出されるようになった時は様々な人が住んだ。若い夫婦が一時の住まいとしていたこともあった。将来の幸せを語り合ったり、たまに喧嘩したら仲直りして仲を深めていった。そして若い夫婦は十分な貯金ができたら、新しい家に引っ越していった。家は二人の幸せを祈って見送った。
複数の学生が借りることもあった。その時は一番賑やかで、鍋を囲んでどんちゃん騒ぎはしょっちゅうしていた。他の友人を呼んだり、学校を卒業して引っ越していっても、入れ替わりに新入生が入ってくることで、人がいなくなることがなく寂しくなることはなかった。それでも、そんな状況も終わる時は来た。
多くの人が住んだ家もいつかは寿命が来る。誰も住むことがなくなった家は経年劣化によって倒壊した。雑草はやたらに育ち、家には蔓が絡まる
哀愁が漂う廃屋を見つけた倉石はシャッターを切った。旅先でたまたま見つけただけだったが、ここにも住民がいて賑やかに暮らしていたのかと想像すると、写真に収めないわけにはいかなかった。
寂しさを覚えた倉石は、たまには実家に帰ってみようかと、廃屋を通り過ぎていった。