「いくぞ野郎ども!」
船長の掛け声で、戦いの火ぶたは切って落とされた。
敵はたまたま出くわした海賊船。普通なら逃げるところだが、こちらも海賊。海賊同士が海の上で出会ったなら、挨拶だけでは終わらない。気に入らないなら殲滅。欲しいものを持ってるなら奪う。それが海賊だ。
海上での戦いは基本的に相手の船に乗り込んで戦う。大砲の打ち合いもあるが、それはお互い望むところじゃない。弾がもったいないからだ。資源が少ないこの海では、どんな荒くれ者だって倹約家だ。何度も使える剣やこん棒でお命を頂戴する。他人の命は弾よりも軽い。しかし、うちの海賊団は船長の方針により命は奪わない。そのかわり、パンツ以外の全てを奪う。パンツだけになった奴らは数知れず。我ら無敵のローテ海賊団。
今回の戦いも危なげなく俺たちの勝利に終わった。うちには強い奴が多いからな。剣術の達人や槍術の達人もいる。武器なしで拳だけで戦う猛者もいる。
パンツ一丁の変態集団が出来上がったところで、奴らの船と一緒に海に逃がした。航海する機能は壊れていないから、どこかの島には着けるだろう。
「勝利の宴だ!」
奪った物資の中にあった酒や食料を食らう。勝利の美酒はどんな安酒でも気分よく酔えるし、いくらでもいける。俺の杯が空になる隙はないのさ。
「ジョン! やっぱりお前の棒術はハンパじゃねーな! 死角ってのがねー!」
「お前の槍さばきも大したものだろう。何人倒した?」
「俺なんてまだまだよ。この船で一番強いのは間違いなく、ジョンお前だ!」
ユージンが煽ててくるが、こいつ自身もとても強い。どんな敵もユージンの槍から逃れられない。
「船長だってそう思っているさ。なあ船長!」
「おうとも! ジョンがその気になれば、誰一人触れることさえできんだろうよ!」
ちげぇねー! と仲間たちも同調する。全くみんな酔いが回っているらしい。
楽しい宴は眠るまで続いた。広い海の上でどれだけ、いつまで騒ごうとも、文句を言ってくる奴はいない。
目が覚めた時には島に着いていた。宴があっても仕事をきっちりこなす航海士には、ローテ海賊団の誰もが頭が上がらない。お小言はたっぷりともらったけど。
この海に浮かぶ島の人口睦度はとてつもなく高い。この島だけでなく、世界の全てがそうだ。陸地が少なすぎるんだ。だから数少ない島に人がなだれ込む。俺は物理的に窮屈な生活が嫌で、船の上での生活を選んだ。しかし、ずっと海で生活ができるわけでもない。様々な物が必要だし、野菜を食べなければ死んでしまう。
俺は買い出しチームに加わって島に降りた。窮屈なのは嫌だが、ずっと地面を踏んでいないのも気持ちが悪いのだ。
テントを立てただけの簡易的な店が所せましと並んでいる。いや、並んでいる店ばかりじゃなく、変なところでやっているのもある。ルールはあってないようなものだ。この世界はそんなもの守って生きていられるところでもない。
「お客さん、見てっとくれ」
仲間と手分けして買い物をしていると、しわがれた男の声が聞こえた。やかましい雑踏の中で、妙によく聞こえた。無視しようとした。呼び込みはどこでもうるさいくらいにやっている。それもその一つのはずだ。なのに興味が惹かれた。
木箱の上に無造作に色んな品が置かれている。どれも用途がよくわからない。複雑な模様や形をしている。美術品にしては、なにかに使われた感じがする。なにかは、どうにもわからない。
「珍しいもんばかりでしょ。めったにお目にかかれないよ」
「そうだな、見たことがない。というよりも全然知らないものだ。なにに使うのかさっぱりだ。置物か?」
「ちゃんと目的をもって使うものですよ。たとえばこれなんかは、余ったおかずをグミに変換する調理器具。おやつにできますよ。こっちは光を吸い込むローソク。月明りが強くて眠れない夜に便利」
よくわからない、ということだけはわかった。
「お客さんにはこれがいいんじゃないですかね。真実の地図です。とんでもないお宝が見つかりますよ」
お宝。それはいい。俺たち海賊。お宝には目がない。それが本物であればの話だが、こんなところに本物の宝の地図があるはずがない。それに宝なんてものは大抵、誰かがすでに見つけているものだ。
「せっかくだけどよ、爺さん。急いでるんでね」
さっさと離れてしまおうと思った。こんな変な奴に構っている暇はねー。
「まあまあ、お手に取って見ておくれ。心配しなくても本物だから」
そう言って、丸まった状態の地図を広げて渡された。触ったら買い取りなんて言われるかと思ったが、その時は力で解決する。俺は海賊だ。
地図には、宝の在り処は黒海の中心に位置する島にあると描かれている。この海は丸い黒い海と、それを囲うように白い海が広がっている。黒や白と言うが、実際に海の水に色がついてはいない。海の底の色が、黒海は黒く、白海は白いからそう呼ばれている。
黒海の中心に島なんてあったっけ? 地図から顔を上げると、爺さんはいなくなっていた。そこにあったはずの店もきれいさっぱりなくなっていた。不自然に、そのスペースだけが空いていた。
ゾッとした。幽霊でも相手にしていたのだろうか。だが、俺の手にある地図だけは実体を持って確かに存在している。それが逆に気持ちが悪い。こんなもの捨てよう。
「ジョン、なに持ってんだ?」
「あ、船長」
船長が後ろから肩越しに顔を出して地図を覗き込んできた。これはまずい。
「宝の地図か面白そうだ。言ってみようぜ」
「本物かどうかわからないですよ」
「そんなん関係ねーな。面白そうだから行くんだよ」
見られてしまったのなら仕方がない。説得は不可能だ。どんなに言っても聞かないのがうちの船長なのだ。
爺さんの話はしないほうがいいだろう。きっと、さらに興味が出てしまう。そうなるともっと面倒だ。
「いてっ」
「どうした?」
「目にゴミが入ったみたいで」
「あんまりこするなよ。目薬差しとけ」
目薬も買って船に戻った。船長は宝の地図をみんなに見せて、次はここに行くと宣言していた。文句は出なかった。ここは白海だが、黒海がすぐそこにある位置だからだろう。
出航は明日の朝。準備を整えて身体を休めた。
目が覚めると、スズメの鳴き声がした。ここは島だから当然いる。いつもは海のど真ん中だからスズメの声を聞くのはひさしぶりだ。
甲板に出ると、ユージンはすでに起きていた。欄干にもたれかかってスズメを眺めている。
「知ってるか、ジョン。スズメの寿命は一年らしいぜ」
「それはかわいそうだな」
「そう思うだろ? けどよ、あいつらにはあいつらの時間が流れてんだ。俺たちが感じる一生とスズメの一生の時間の感覚は一緒らしいんだ」
「そうなのか。なら、俺たちが感じる一瞬は、スズメにとっては一年くらいになるんかな」
「そんな感じだ」
「どうしてこんな話するんだ?」
「昨日、露店おばちゃんに聞いた」
どうやら誰かに話したかっただけらしい。ユージンにしては頭がよさそうなことを話すから変だと思った。
「さあお前ら! 出航だ!」
船長の号令とともに、陸地に別れを告げ、ローテ海賊団は出航した。目指すは黒海の中心にある島。俺は不安だったが、とりあえずあの爺さんのことは忘れることにした。正体がわからず怖がるなんて、どうしようもないことをしても仕方がない。今はこの航海を楽しもう。
島を出てほどなくして黒海に入った。黒海は過酷な海で、様々な艱難辛苦があった。船を飲み込めるほどの大きな海蛇が襲ってくることもあれば、とてつもない大嵐にあうこともあったが、その全てを乗り越えた。
「この海なんか不気味だな」
「どうしたユージン怖気づいたか?」
「そうじゃねー! 薄気味悪いんだよ」
「なんだそれ。幽霊でもいるってのか?」
やめてくれ。怖いことを言わないでくれ。あの爺さんを思い出しちまう。
「そういうんじゃなくて、小骨が引っかかったような違和感みたいなもんだ」
「気のせいじゃないのか?」
「そうかもしれん」
なんとも歯切れが悪い。なにはともあれ、もうすぐ黒海の中心だ。あの地図が本物かどうかはこれではっきりとする。
針路をそのままに進んでいくと、マストの上から見張り役が島が見えたと叫んだ。そこは確かに黒海の中心に浮かぶ島だった。小さい島だがしっかり存在している。だが、不思議なことに人っ子一人いない。陸が奪い合いにまで発展するようなこの広い海で、小さいとはいえ人が全くいないのは変だ。有毒ガスが漏れているのか? 調べたがなにも異常はないようだ。
「上陸だ!」
船長を先頭に島に乗り込んだ。一見なにも変なところはない。むしろ、落ち着いた気候で過ごしやすい。ここに別荘を建てようなんていう仲間もいるほどだ。こんな優良物件がまだ残っているなんて、どういうことだろうか。
「そんなに気を張るな。誰もいないのは、誰もたどり着けなかっただけだろう。ここまで来るのに命がけだったからな。前人未踏の島だってことだ!」
そう言って船長は興奮が抑えきれないようで走り出した。船長の言う通り、死ぬような航海だった。この島にたどり着けたのは奇跡と言って申し分ない。誰も来たことがないというのは本当なのかもしれない。
さて、本題の宝さがしだ。大きくない島だが、それでも大変なはずだ。長い探索になることだろう。
「おーい! 宝箱があったぞ!」
そんなことはなかった。宝箱は埋められたリ、隠されてはいなかった。島の中心に普通に置いてあった。
宝箱には鍵はかかっていなかった。すぐに開けられたその中身は、畳まれた一枚の紙と液体の入った瓶のようなものだった。
「なんだこりゃ?」
ローテ海賊団全員が首を傾げた。違う宝の地図だと言うやつがいたが、そんな面倒なことあるか?
紙を広げてみると、文字が描かれていた。船長が代表して読む。
「奇妙奇天烈なことは想像もつかないことだ。それは非現実なことでありながら、いつも現実の中にある。どれだけ考えても考え付かないことが実際に起きるのが世の常だ。真実とはそういうものである。涙であふれた眼球は潤った。そして瞼で蓋をされる。その際に全ては零れ落ちることだろう。ここは瞳の上。巨大な生命体の眼球の表面上に君たちはいる。間もなく瞼は閉じられる。目薬はもう十分に広がった。刹那の時であったが、君たちにとっては膨大な時間だったことだろう。残念ながらこれで終わりだ。これが真実だ。受け入れたまえ」
全く理解ができない。妄想にしては面白いかもしれないが、冗談じゃない。他の仲間もそう思っているのだろう。全員同じ表情だ。きっと俺も同じだ。
宝箱の中にあった瓶のラベルには『目薬。海でくんだもの』と書かれていた。
不意に足が濡れた。海の水が迫ってきていた。水位が上がっている。空を見上げれば、狭くなっていた。水平線の向こうから黒く塗りつぶされてきている。
目が乾く。俺は、こんなわけのわからない状況なのに、目薬をさした。そして、やろうと思っていないのに、瞬きをして、涙がこぼれた。