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鮮血いちごジャム

短編

いちごジャム。いちごを砂糖で煮たもの。甘くて、いちご特有と種のつぶつぶが美味しい。主にトーストに塗って食べるジャムの一種。栄一は朝トーストを食べる。いちごジャムをたっぷり塗ったやつを毎日飽きもせず、だ。聞けば、習慣でこれを食べないと一日が始まらないらしい。試しにほかのジャムを食べたこともあったが、どうも一日しっくりこなくて、目の上のたん瘤や、寝違えた時のようなうっとうしいような、おちつかないような変な感じがしていたという。ちなみに、それはマーガリンにした時も同じだった。塗られるものはトーストじゃなくてもいい。クロワッサンでもフランスパンでもかまわない。しかし塗るものは絶対にいちごジャム。

白米では試したことがない。だって気持ち悪いじゃないか。ご飯の上にいちごジャム。うげっ。

今朝のいちごジャムはいつもより、なんだか鮮やかだった。いつも使っている使いかけのいちごジャムなのに、そんな感じがした。

学校は特になにも変わらない。壁は落ちない汚れがいっぱいで、桜の木々は花も葉もなく裸んぼ。最近は昼休みの後の掃除の時間がキツイ。手がかじかむ。

調理実習の時間。今日はナスの入った味噌汁をつくる。普段、料理をする連中は手際よく進めている。それとは逆に全く料理をしないやつらはなにをすればいいのかもわからない様子だ。ちなみに栄一はわからない方だ。

それぞれ七つの班に分かれての作業で、手際の良い班や悪い班がいる。栄一はほかの班の様子が気になって、顔を上げて教室を見渡して見ると、ナスを切っている女子に目が留まった。指の表面を包丁で切ったようだ。指を抑えてほかの班員が絆創膏を差し出している。栄一は距離が離れているはずなのに、その指に浮かぶ血が鮮明に見えた。その血は今朝食べたいちごジャムと同じ色をしていた。

翌朝。朝食のパン、そしていちごジャム。今日も昨日と同じく鮮やかな色だ。昨日の血の色が脳裏をよぎる。栄一が見たことのある血はあんな色をしていなかった。動脈、静脈どちらを切ってもあんなものは出てこないだろう。

栄一は気にすることなく今日もパンをかじった。特に害があるわけでもなし。

今日の授業に家庭科はない。調理実習はない。二日連続で調理実習は行わないからだ。授業各科目は平行してバランスよく。日々の食事もバランスよく。

一時間目、社会科異常なし。二時間目、国語異常なし。三時間目も四時間目も、お昼をはさんだ五時間目も特になにも起きなかった。これこそがいつもの日常だ。昨日も平穏ではあったが心がそうじゃなかった。今日は心もいつもの日常だ。

今日最後の授業が終わり、放課後となる。部活動に向かうやつ。さっさと家路を急ぐやつ。だらだらとだべるやつ。放課後の生徒というのは大抵この三つに分かれる。栄一はどこかの部に所属していないし、だらだらと学校に残りたくはないので、家路を急ぐ。

三階の教室から下駄箱への道のりは案外遠い。階段の下りはいいが、上りは結構疲れるのだ。それに時間ギリギリに学校に着く頃合いだと教室までに時間がかかって遅刻になってしまう。とても不便だ。

大きく音をたてながら階段を下りる。急ぐとどうしても強く踏んでしまう。音が階段全体に響く。すれ違う生徒はいない。栄一しかこの空間にいないと錯覚するほどだ。足音がよく響く。

一番下まで下り、一階の廊下を歩きだす。後ろで派手に鈍い音がした。驚いて反射的に振り向く。足のすぐ先で人がうつ伏せになっていた。血が広がる。だんだん、栄一に迫ってくる。

頭の中は真っ白だった。突然のことで思考が追い付かない。理解ができない。こんなの日常じゃない。呼吸の速度が高まり、脳に酸素が巡り、血の色が目に映って認識した。血の色は今朝のいちごジャムと同じ色だった。

栄一は恐ろしくなって走り出した。下駄箱に着くと急いで靴を履き替え、校門を飛び出して全力で走った。息が切れて立ち止まって呼吸を整えた時にやっと冷静になってきた。

結果的に逃げ出すような形になってしまったから、誤解を生んでしまうかもしれない。今さら学校に戻るのも面倒であるし、何かあったときは明日釈明をしよう。そう思い到った栄一は、今度はゆっくり歩いて帰った。できれば明日が来ないことを願いながら。

翌朝。昨日と同じいちごジャム。味も舌触りも、その色も昨日と同じだった。

明らかにおかしい。もう、何かおかしなことになっているのはごまかしようもない。今日も不吉なことがあるだろう。憂鬱な気持ちで学校へと向かう。

教室では昨日のことが話題になってた。階段から女生徒が転げ落ちて救急車に運ばれたらしいが、命に別状はないらしい。

よかった。無事だった。栄一は昨夜から派手に血を流していた、あの時自分の足元まで落ちてきた生徒を心配していた。

クラスの話し声から件の生徒の安否がわかった栄一は、今日の時間割を確かめて危険のある科目がないか考えた。

歴史、音楽、国語、体育、数学、美術。なにかあるとすれば体育があやしい。棒高跳びの棒が体に刺さるかもしれない。陸上のハードルが転んだ拍子に足と絡まって、関節があってはならない形になってしまうかもしれない。投げたボールが誰かの眼球に当たって破裂してしまうかもしれない。なんて恐ろしい。

一番の鬼門は体育だ。自分になにができるともわからないが、栄一は今日おこるかもしれない悲劇を防ぐ決意を固めた。

体育の前の授業では何も起こらなかった。歴史の授業はいつもどおり眠たくなったし、音楽は大して興味のない楽譜の読み書きをして、国語では岩屋に引きこもった山椒魚を題材にした。

四時限目の体育の時間。内容は陸上競技のハードル走。ハードルは硬くて角があり、結構重い。運んでいる最中に不注意でハードルに当たって思わぬ凶器になりうることだって十分ある。ハードルは栄一が一人で運ぶわけではないから栄一だけ気を付けても仕方がないので、周りに気を配ることしかできない。しきりに周りを落ち着きなく見ているから、他人の目からは挙動不審に映っているのだろう。

周りから白い目で見られたような気がした栄一だったが、どこ吹く風でせわしなく首と目を動かしていた。途中、授業に集中しろと先生に注意されたので、足も動かした。そして、栄一の足によってハードルはいくつも倒されていた。

特に怪我人を出すこともなく授業は終わった。それは体育だけでなく、その日全ての学校生活で事故、あるいは事件は起こらずに今日の全てのカリキュラムを消化した。

無事に今日という日が終わるのは良いことだが、栄一はどこか肩透かしを食らっていた。今朝の鮮やかないちごジャムはいったいなんだったのだろうか。ただのいちごジャムだったのか? 昨日も一昨日も、不吉の象徴として脳に刻まれた鮮血の色をしたいちごジャムがなんの変哲もないジャムなわけがない。

「どうしたんだよ。ボーっとして」

友人の浩二が顔を覗き込んで訪ねてきた。浩二はここ最近インフルエンザで休みだったので彼らは久しぶりにお互いの顔を見た。こうして一緒に帰るのもいつ以来かと思ったほどだ。

「ちょっと悩み事があったけど、もう大丈夫だ。多分解決した」

「ふーん、そか」

こんな変な話をする必要はないと考えて、栄一は話さなかった。

栄一は今朝のジャムの色は確実にただのいちごジャムの色ではなかったことは確信していたが、偶然が重なっただけ。いちごジャムの色が鮮やかに見えたのは自分が疲れていただけだったのだろう。そう結論づけた。

「おっ、ちょうどバスが来てらぁ。ほら急ごうぜ」

バス停には、ちょうどいいタイミングで、栄一たちを待っていたかのようにバスが停まっていた。

急いで乗り込んだバスの中は、人もまばらで座れる場所はいくつもあった。この時間はもっと人がいるのだが、珍しいこともあるもんだ。

栄一は浩二と他愛のない話で声をひそめて盛り上がる。今日も授業は退屈だった。休んでいる間はヒマだった。もう少ししたらテストがあってダルイだとか。本当に他愛のない話。バスはいつもと同じルートで栄一たちの家路を走る。

信号機が赤色のLEDを灯してバスは止まった。すぐ左手ではビルを建てているようで足場が囲っていてクレーンが鉄骨を持ち上げていた。道路は、たくさんの乗用車が行き交い、大きなダンプカーが忙しそうにしていた。

いつもと同じ日常が戻ってきたと栄一は感じていた。今日までの自分の行動は思春期ゆえの、勘違いから起きた黒歴史なのだ。そう思ったら、急に恥ずかしくなってきた。穴があったら入りたい。でも、憑き物が落ちたような清々しい気分だった。いっそ歌の一つでも歌って、今までの色々をふきとばしてやりたい。

街路樹が大きく揺れている。突風が吹いて葉が次々と飛んでいく。そして鉄骨が降ってきた。バスを縦に突き刺して、その先端は栄一のすぐ近くに降り注いだ。

いきなりの出来事に意識が瞬いて何が起こったのか分からなかった。数秒かけて明確になった視界がとらえたのは。串刺しにされた友人と、辺り一帯を染め上げるいちごジャムの色だった。

油断した結末。予兆はあったのになにもできなかった不甲斐ない栄一。

しかし、予兆はというのは、起こらねば予兆とは呼ばれない。この結果は決まりきったことだったのだ。全てはいちごジャムに違和感を持った瞬間に決まっていた。幻想は確認できてしまえば現実になるのだから。

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